人妻 吉井香苗(105)

香苗が恭子と会った日、中嶋はいつものように部屋に来ることもなければ、連絡をしてくる事もなかった。

何もしない平日の午後。

いつもなら中嶋と会えないとなれば欲求不満がすぐに溜まってしまうのに、今日は不思議とそうはならなかった。

それは、恭子にあんな事を言われたからなのだろうか。

〝祐二さん言ってましたよ。仕事は大変だけど、1日の内で香苗さんの料理だけが唯一の楽しみだって〟

さっきから恭子に言われたそこの言葉が頭の中に何度も何度も出てくる。

香苗 
「はぁ……」

小さなため息をつきながら、ソファに寝転がるようにして横になる香苗。

欲求不満が出てこない代わりに、今日はなんだか身体がだるく、重く感じる。

体調があまり良くないのかもしれない。

どうしてだろう。

何かを考え込んでしまっているわけではないのに、気分が落ち込む。

ソファに横になったまま、ゆっくりと目を閉じる香苗。

開けた窓からカーテンを揺らしながら入ってくるそよ風が、そんな香苗を癒すように頬を擽る。

スーッと身体の力が抜けていく。

そして香苗はそのまま吸い込まれるようにして眠りに入っていった。

香苗……香苗……大丈夫か?

遠くの方から、声が聞こえる。

聞きなれた声。

だけど、なんだかとても安心できる声。

その声が心地良くて、このまま眠り続けたいと思っている自分がいる。

だが、その声はやがてハッキリしたものになっていき、香苗の意識を呼び覚ます。

祐二 
「香苗、香苗……大丈夫か?」

香苗 
「ん……ぇ……?」

祐二 
「どうしたんだよ、またソファで寝たりして。」

香苗 
「……祐二……?ぇ、あ、ごめん……あれ、どうして……?」

一瞬、どうして目の前に祐二がいるのか理解できないでいた香苗。

祐二 
「今仕事から帰ってきたんだよ。部屋は真っ暗だし、どうしたのかと思ったよ。」

香苗 
「今何時……ぇ、うそ、もうこんな時間!?」

そこで初めて香苗は、自分が夜になるまで寝てしまっていたのだと気付いた。

香苗 
「ご、ごめん、すぐにご飯の用意するから。」

祐二 
「いいよそんなに慌てなくても、今日は珍しく定時だったからいつもより早く帰ってこれたし。それより香苗は体調大丈夫なのか?」

香苗 
「う、うん……大丈夫。」

祐二 
「本当に?」

香苗 
「大丈夫……ホントに。じゃあ私、晩御飯の用意するから。」

香苗は手串てさっと髪を整えると、すぐにソファから立ち上がりエプロンを取りに行こうとした。

祐二が慌てなくても良いと言ったにも関わらず、香苗はなんだか落ち着きがなかった。

心に余裕が無く、どこか無理をしているような。

祐二 
「いいよ香苗、今日は晩御飯は作らなくても。」

香苗 
「ぇ?でも……。」

祐二 
「あのさ、せっかく早く帰ってこれたんだし、今日は2人で外に食べに行かないか?」

香苗が料理好きだったのもあってか、結婚してから2人で外食する事はあまりなかった。

それに加え、最近は祐二の仕事も忙しかったら、2人にとっては本当に久しぶりの外食という事になる。

祐二 
「な?ビックリだろ?こんな所にこんなに良いレストランがあるなんて。」

香苗 
「うん、いい所だね。」

2人が訪れたのは、香苗達が住むマンションの近くにある閑静な住宅街、そこにある隠れ家的なビストロだった。

年配の夫婦で営んでいるという小さな店の店内は、落ち着いた雰囲気で、まさに大人の男女がゆっくりと食事をするには丁度良いレストランだと言えた。

料理は温かみのあるフランスの田舎風で、家庭的な安心感がありつつも、プロの手による洗練された味。

本当は食欲があまりなかった香苗も、その料理を味わって、素直に美味しいと感じる事ができた。

2時間程のディナー。料理、ワイン、そしてデザートまで食し、ほんの少しアルコールでホッコリした状態で2人はレストランを出た。

祐二 
「いやぁ美味しかったなぁ、また近い内に2人で来ようよ。俺気に入ちゃったよここ。」

祐二はほろ酔い加減で満足そうな笑みを浮かべながら香苗にそう言った。

香苗 
「……。」

祐二 
「……ん?なぁ香苗、どうしたんだ?ボーっとして。」

妙に明るい祐二と、反応が少ない香苗。

祐二はそんな香苗の様子を見て一瞬心配そうな表情をしていたが、また笑ってこう続けた。

祐二 
「あっ!そうだ!香苗、ちょっとこっち行こう。」

香苗 
「……えっ?なに?」

祐二は急に香苗の手を掴んで、マンションの方角とは違う道に向かって歩き始めた。

香苗 
「ね、ねぇ……どこに行くの?」

祐二 
「いいからいいから。」



コメント

  1. まとめtyaiました【人妻 吉井香苗(105)】

    香苗が恭子と会った日、中嶋はいつものように部屋に来ることもなければ、連絡をしてくる事もなかった。何もしない平日の午後。いつもなら中嶋と会えないとなれば欲求不満がすぐに溜まってしまうのに、今日は不思議とそうはならなかった。それは、恭子にあんな事を言われた…

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