人妻 響子 (7)

沙弥と堂島が部屋を出ていってから30分以上が過ぎていた。

2人きりでワインを飲みながら、長岡は
「もっと響子さんの事を教えてくださいよ」

と言った。


「私の事ですか……私の話なんて何も面白くないですよ」


「そんな事ないですよ。じゃあそうだな……結婚について教えてくださいよ。」


「結婚ですか……?」


「俺は結婚した事がないので、知りたいんですよ。結婚生活って正直どうなんですか?さっき沙弥ちゃんが響子さんは結婚生活に不満を持ってるって言ってましたけど、そうなんですか?」


「ん~そうですねぇ……不満って言うより、退屈かな。もちろん嬉しい事も楽しい事もあるんですよ。でも最近は退屈って思う事が多いかなぁ。」


「もっと生活に刺激が欲しいって事ですか?」


「そうなのかなぁ……沙弥はそうだって言いますけどね。私、自分で自分が分からなくて……。でも、世の中の人は皆そうじゃないですか。専業主婦も、働いてる人も、毎日に楽しく過ごしている人なんて殆どいないと思いますし。平凡な毎日だけど、これが幸せなのかもしれませんし。私は我儘な事を言ってるんです、きっと。」


「平凡な毎日が幸せ……か。」


「長岡さんはどうなんですか?独身生活は楽しいですか?」


「楽しいですよ。でも俺は響子さんとは逆で、平凡な幸せなんてきっと一生味わえないんだと思います。いつもその場限りの楽しい事だけで、継続する事ができない人間なんです。だから結婚には憧れてますよ。安定した幸せが欲しい。でもそれが自分には出来ない事も分かってるです。」


「どうして出来ないんですか?長岡さんならしようと思えばすぐにでも結婚できそうじゃないですか。」


「無理なんですよ、したとしても絶対に長続きしない。俺、1人の女性をずっと愛し続ける事ができない男なんです。ダメな男でしょう?」


「そんな、ダメだなんて……」


「響子さんの旦那さんはどんな人なんですか?」


「夫ですか……一言で言うなら、仕事の人、かな。」


「仕事の人?家族よりも仕事が大事ってタイプなんですか?」


「そこまでは言い切れないけど、少なくとも最近は仕事優先ですね、子供達の事にも関心があるのかないのか分からないし……塾に行かせろとか、そういう事は言ってくるんですけど、その他に父親らしい事は全くしてくれないんです。夜の食事も、最近は仕事が早く終わってもわざわざ1人で外食してくる事も多いんですよ……昔は遅くても家で食べてくれてたのに。」


「家族を持つって、やっぱり普通の恋愛と違って大変なんですね。」


「あ、ご、ごめんなさい!なんか私、ペラペラしゃべっちゃって……。」

夫の事を聞かれて、つい愚痴ばかりを漏らしてしまった響子は、慌てて長岡に謝った。


「いいんですよ、俺が聞いたんですから。沙弥ちゃんも言っていたけど、今夜は俺に全部吐き出してくれて良いんですよ。」


「長岡さん……」


「さぁ、もっと飲みましょう。今夜はとことん聞きますよ。」


「……はい……」

空になっていたグラスに長岡がワインを注ぐ。

――全部吐き出す……確かに長岡さんなら全部受け止めてくれそう……――

答えが欲しい訳じゃない。でも聞いて欲しい。

響子はグラスに入ったワインをゴクゴクと一気に飲むと、息を吐いた後、小さく口を開いた。


「夫は……きっともう私には興味がないんです。そ、その……1人の女として。」


「どうしてそう思うんですか。」


「それは……笑ってくれないんです、私に対して。なんだかいつも私の前では無表情で、私が何か話しても〝どうでもいい〟とか〝後にしてくれ〟とか、それが夫の口癖なんです。」


「そうなんですか。でも響子さんと旦那さんは恋愛結婚なんですよね?」


「はい……昔はそんな人じゃなかったんですけど、会社で昇進して責任のある立場になったとかで忙しくなり始めてからは、人が変わったみたいになっちゃって。でも私は妻としてそんな夫を支えないといけないと思って家事も育児も一生懸命やってきたんです……でも夫は昔のようにはもう笑ってくれなくて……仕事の大変さを私が理解しきれていないというか、私が世間知らずなだけなのかもしれませんけど。」


「響子さんはもう旦那さんに冷めちゃってるって事ですか?」


「……分かりません……でも変わってしまったのは夫だけじゃなくて、私もそうなのかもしれませんね。ごめんなさい、こんな暗い話、詰まらないですよね。愚痴ばかり言う女になっちゃって……こんなだから私、夫に見放されてるんですよね、きっと。魅力ないんです。」

そう話す響子の目からは、いつの間にか涙がポロポロと流れていた。

夫に必要とされていない寂しさと、自分の情けなさ。今まで溜め込んでいた感情が溢れだしてきて、止まらなかった。

すると長岡はそんな響子を見て、響子の肩に手を回すと、自分の方に抱き寄せた。


「響子さん、そんな事ないですよ。響子さんは今も凄く魅力的です。」


「……長岡さん……」


「響子さん、俺と付き合ってみませんか?」


「え……?付き合うって……?」


「俺は響子さんとは真逆の生き方をしているような男です。でもだからこそ、今の響子さんの心の穴を少しでも埋める事ができるかもしれない。」


「心の穴を、埋める……?」


「そうです、こうやってね。」

そう言って長岡は響子に顔を近づけてきた。

響子は一瞬で〝キスされる〟と察した。しかしそれを拒絶しようとは思わなかった。

響子は長岡と出会ってからずっと、こうなる事を心の奥で望んでいたのだ。

だから、響子は自然とそれを受け入れるようにしてゆっくりと目を閉じた。

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