「とりあえずここに座って、落ち着けって、な?」
「……うん。」
悠一郎は床の上で泣き続けていた恵理をソファに座られて、自分もその横に座った。
そして俯いている恵理の肩に手を回してこう言葉を続けた。
「まぁなんだ、その、あれだ。恵理がそんな責任感じることないって。」
「……でも……」
「誘ったのは俺の方だし。」
「でも、私、こんな事したら奈々が傷つくって分かってたのに……どうしよう。」
「まぁ、それはさ……うーん……」
強い自己嫌悪に陥っている恵理を見て、困った様子の悠一郎。
「とにかく、俺が悪いんだからさ、恵理はそんな気にするなよ、な?」
「気にするなって……そんなの無理だよ、奈々は……友達なのに……。」
真っ赤な目に再び涙を浮かべる恵理。
悠一郎は何を言っても自分を責め続ける恵理の横で、まいったなと言った感じで頭を掻きながらばつの悪そうな表情を浮かべていた。
「なぁ恵理、昨日はお互い酔ってたんだしさ、な?ある意味仕方ないっつーか。」
困り果てた悠一郎が苦し紛れに放ったその言葉に恵理は思わず顔を上げた。
〝酔ってた〟〝仕方ない〟
どうやったって恵理の頭の中に引っかかってしまう悠一郎のその軽い言葉。
「……なにそれ……。」
恵理は涙で濡れた目を悠一郎に向けた。
もちろんそれは、穏やかな視線ではない。
「あ、いやそうじゃなくて……」
部屋の中に一気に気まずい雰囲気が流れる。
しかしそこでそんな空気が一気に断ち切られるような出来事が起きた。
突然ピーンポーンという部屋の呼び出し音が鳴ったのだ。
「え?」
「誰?」
少し驚いたような表情で顔を見合わせる2人。
「……分かんないけど、誰だろう。」
するとドアの向こうから声が。
「恵理ぃ!いる~?」
奈々の声だ。
「えっ!?奈々?どうして。」
「うわっ!マジかよ!」
慌てふためく2人。
確か奈々は数日間実家に帰ると言っていたはずなのに。
「どうしよう……」
今この部屋の状況を奈々に見られたら、何も言い訳できない。
テーブルの上に並べられたお酒の空き缶、脱ぎ散らかされた衣服、使用済みコンドームの袋、部屋に微妙に漂っている男女の匂い。
そしてパンツ一枚の悠一郎と、髪が濡れたままの恵理。
「やっべぇな……とりあえず裸はまずいよな、俺の服、あれ服どこいった?ここか」
「どうしよう……どうしよう……」
パニックになっている恵理はその言葉を繰り返すだけで、ただその場に立ち尽くしてしまっている。
悠一郎は慌てて服を着ると、何かを探すように部屋を見渡した。
「とりあえず俺は隠れるわ。」
クローゼットの方を指さし、そう言い放った悠一郎。
もちろんその表情に余裕はない。
「隠れるって、そんな事言われても……私どうしたら。」
「とにかく奈々を部屋に入れないようにして、あっ、ていうか居留守すればいいのか。」
そう、ただその場で黙ってさえいれば奈々は恵理が居ないと思って自分の部屋へ去っていくだろう。
しかし次の瞬間、その居留守作戦は簡単に崩れてしまう。
「恵理ぃ!居ないのかなぁ……あれ、鍵開いてるじゃん。」
ガチャっという音と共に玄関のドアが開く。
「……!?」
どうして鍵が!?
思わぬ事態にさらに混乱する恵理。
……そうだ、昨日悠一郎君を部屋に入れた時……
そう、恵理は鍵を掛け忘れていたのだ。
「恵理ぃ!居ないのぉ?お土産買ってきたから一緒に食べよ~。恵理の好きな餡子の甘いやつだよぉ。」
ドア越しではない、クリアな奈々の声が直接耳に届く。
奈々はあまり遠慮するような友達ではない。
隣同士の部屋を、まるで同居生活でもしているかのように気兼ねなく互いに出入りしていたような仲だった2人。
トイレに行って戻ってきたらテレビの前に座ってお菓子を食べてる奈々が居た。そんな事が少し前までは日常茶飯事だった。
だから奈々は鍵が開いてるのに返事がなければ、心配して恵理の部屋にそれ程抵抗を感じることなく入って来てしまうだろう。
悠一郎は焦った表情でジェスチャーで
「俺隠れてるから何とかして」
と恵理に伝えると、音を立てないようにしてクローゼットの中に入っていった。
残された恵理はそんな状況に未だ混乱しつつも、奈々をこの部屋に入れる訳にはいかないため、急いで玄関へ向かった。
「……奈々?」
「あー恵理、やっぱいるじゃん。」
「ご、ごめん、お風呂入ってたから。」
濡れたままで髪で、そう小さな声で答えた恵理。
「そうだったんだ。あのさこれ、お土産持ってきたんだけど……ていうかどうしたの?恵理、目真っ赤だよ?」
「えっ?あ、これはあの……えっと……ちょっとシャンプーが入っちゃって、それで……」
恵理は嘘をつくことに慣れていない。
当然目が充血しているのはついさっきまで悠一郎の前で号泣していたからだ。
それを指摘されてあからさまに動揺してしまう恵理。
「大丈夫?ちょっと腫れてない?」
「だ、大丈夫だよ。ホント、ちょっと入っちゃっただけだから。……それより奈々、2,3日実家に帰るって言ってなかったっけ?」
「あーうん、本当はそのつもりだったんだけど、なんか居心地悪くて。お母さんが就職活動の話ばっかりしてくるんだもん。嫌になっちゃって早めに帰ってきちゃった。」
「そ、そうだったんだ……。」
「あ、ねぇそれよりお土産、今から一緒に食べようよ。恵理が好きそうなお菓子買ってきたから。もうすぐいいとも始まるし一緒に見よう。」
そう言って当然のように部屋に上がろうとする奈々。
それを恵理は咄嗟に止める。
「あっ!ちょ、ちょっと待って!あの……ダメなの、その、今部屋散らかってて凄い汚いから。」
「え~別にそんなの気にしなくていいのに~。ていうか恵理が汚いって言ってもいつもの私の部屋よりは綺麗なんでしょ?どうせ。大丈夫大丈夫。」
そう言って笑いながら再び部屋に上がろうとする奈々を、恵理は必至に止める。
「だ、だめっ!と、とにかく……ダメなの今は……」
あまりにも強く拒絶する恵理に、奈々は少し不審を抱くような表情を見せた。
「……どうしたの恵理?部屋に何かあるの?」
「えっ!?ううん!そうじゃないけど……ね、あのさ、髪乾かしたら後で奈々の部屋行くから、奈々の部屋で一緒に食べよ?いいともも、ね?」
「……う~ん……分かった。じゃあ部屋で待ってるね。」
奈々は少し不満そうにしていたが、恵理の言う通りにドアを開けて自分の部屋へ戻ろうする。
なぜ不満かと言えば、それは奈々がいつも〝恵理の部屋の方が落ち着くし居心地良いもん〟と言っていたからだろう。
奈々が部屋に入ってこない流れになり、ほっと胸を撫で下ろす恵理。
しかし、それも束の間。
「あっ、ねぇ恵理。昨日悠一郎来なかった?」
「えっ!?」
奈々の口から出た悠一郎という名前に、恵理は激しく動揺してしまう。
「……き、来てないけど……どうして?」
「ううん、来てないなら良いんだけど。私すっかり忘れてたんだけど、悠一郎にDVD借りてきてほしいって頼んでたんだよね。私いないのに借りて持ってきてたら悪いなと思って。でも連絡ないってことは悠一郎も忘れてるんだろうね、きっと。」
「そ、そうだったんだ……。」
「うん、じゃあ部屋で待ってるね。お菓子、悠一郎の分無いから早く2人で食べちゃお。」
そう笑いながら冗談ぽく言うと、ドアを閉めて自分部屋へ戻って行った。
「……はぁ……」
奈々がいなくなった玄関で、大きくため息をつく恵理。
咄嗟に嘘をつけてしまった自分自身に驚く。
……奈々はあんなに笑顔を向けてくれる友達なのに……私は……
そんな事を考えると、また罪悪感で胸が潰れそうになった。
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