果歩の部屋の電気は点いていないし、ノックをしても返事はない。
まだ例のアルバイト先から帰ってきていないのだろう。
陽が沈んでからもう大分時間が経っている。
友哉はアパートの階段に腰を下ろして果歩の帰りを待った。
この階段を果歩と肩を寄り添わせながら上った日々が、なんだかもう遠い昔の事のように思える。
友哉
「・・・・・」
携帯電話を開いて時間を確認する友哉。
・・・果歩・・・遅いな・・・
果歩に連絡を取る事はできないし、大学で同じ学部の友人達に連絡するのもなんだか気が引ける。それは知子が話していた噂の事があるから。
単なる噂なのだと思うようにはしているが、もしかして事実なのかもしれないという怖さもあった。
とにかく果歩に会って、それでゆっくり話を聞けば良いと、友哉は自分に言い聞かせた。
もうすでに時間は0時を過ぎている。
飛行機での長旅に少し疲れも感じていた友哉は、階段に座ったまま地面をじっと見つめていた。
あと1時間して帰ってこなかったら、今日は諦めて今夜泊まる所を探そう。実家は遠いし、前に住んでいたアパートはもちろん解約しているのだから、どこかの安いビジネスホテルでも探すか、それとも誰か友人に頼んで泊まらせてもらうか・・・。
そんな事を考え始めた時、下を向いていた友哉の耳に人の足音が届いた。
ハっとして顔を上げる友哉。
友哉
「・・・果歩・・・?」
目の前にはアパートに向かって歩いてくる女性の姿。
友哉はその場に立ち上がると、その女性の方を見て目を凝らす。
・・・やっぱり果歩だ・・・
友哉
「果歩・・・。」
あと数メートルの所まで果歩が近づいて来た時、友哉は果歩に聞こえるように名前を呼ぶ。
その瞬間、俯き加減で歩いていた果歩は顔を上げて友哉の方を向いた。
果歩
「・・・ぇ・・・」
果歩は友哉の存在気付くと、その場に立ち止まり、驚いた様な表情を見せた。
友哉はそんな果歩の姿を見て一目で気付く。
今、目の前にいる果歩は一見、外見こそ以前と変わりないが、その表情はどこか暗く、そして疲れきっているようだと。
友哉は一年間の付き合いで果歩の色んな表情を見てきたが、今のような何とも言えない悲しい表情は見た事がなかった。
友哉
「果歩・・・俺・・・」
友哉が心配顔でそう言いかけた瞬間、果歩は突然小走りで友哉の横を通り過ぎ、逃げるようにしてアパートの階段を上り始めた。
友哉
「果歩!?ちょっと待ってくれ!」
駆け足で階段を上って行く果歩を、友哉も急いで追いかける。
カンカンカンカン・・・!
2人の階段を上る足音が、静かな真夜中に鳴り響く。
必死な様子で友哉から逃げようとする果歩。
しかしそこは男と女、友哉の方が階段を上るのは速い。
階段を最後まで上りきった所で、友哉は果歩の細い手首を掴まえた。
友哉
「はぁ・・・果歩、話があるんだ。それに・・・聞きたい事も・・・俺、果歩の事が心配で・・・」
果歩
「イヤッ!離して!」
果歩は突然大きな声をあげて、友哉の手を勢いよく振り払った。
友哉は果歩のその行動に、思わず手を離してしまう。
友哉
「・・・か・・・果歩・・・?」
こんな風に果歩に激しく拒絶された事のなかった友哉は、驚いた表情で果歩の横顔を見つめた。
しかし果歩はそんな友哉には見向きもせず、自分の部屋へと駆けて行く。
果歩に強く拒絶された事にショックを受けた友哉は、咄嗟に動く事ができず、ただそこで去っていく果歩の背中を眺める事しかできなかった。
ガチャ・・・バタン・・・
そそくさと部屋の中に入ってしまった果歩。
友哉は少しの間その光景を唖然として眺めていたが、混乱する頭を横に振って気を取りなおすと、急いでその部屋の前まで行き、果歩の名前を呼んだ。
友哉
「果歩!?少しだけでも話せないか?果歩!頼むよ!出てきてくれ!」
ゴンゴンゴン!!
友哉は少し冷静さを失った様子で、今が真夜中だという事も構わず強くドアをノックして果歩を呼ぶ。
友哉
「果歩?なぁ、少しだけ・・・少しだけでいいから!」
友哉の大きめの声は確実に果歩の耳に届いているだろう。
しかし果歩はそんな必死な友哉の声に応えてくる気配は全くない。
「おい!うるせぇぞ!!こんな夜中に何考えてんだ!!!」
何処からともなく聞えてきた男の野太い怒鳴り声。
恐らくこのアパートの別の住人だろう。
その怒鳴り声に制止されるように、友哉は果歩を呼ぶのを止める。
友哉
「・・・くっ・・・・」
両手に握り拳を作って下に俯く友哉。
果歩に拒絶され全く相手にされない自分が、果歩から全く助けを求められない自分が、男として不甲斐無く感じたのだ。
友哉はそのまま果歩の部屋の前で、なすすべもなくしばらく立ち尽くした後、重い足どりで果歩のアパートから去っていった。
友哉
「・・・・はぁ・・・・」
真夜中、夜空の下で出た深いため息。
あんなに拒絶されてしまうなんて思ってもみなかった。
無力な自分に嫌気が差す。
・・・どうしたらいいんだ・・・
いや、もしかして今は果歩にとって恋人でも何でもない自分には、果歩に何かを言う権利などないかもしれない。
新しい恋人との問題に口を挟む権利なんて・・・。
あれは単なる噂で、果歩にとって元恋人である自分は煩わしい存在でしかないのかもしれない。
しかし・・・友哉の頭からは、さっき見た果歩のあのなんとも悲しいような表情が離れなかった。
あれは明らかに以前の果歩とは違っている。
・・・果歩は苦しんでいる・・・きっとそうなんだ・・・
考えすぎかもしれない。思い違いかもしれない。
昔の果歩を失いたくないという感情から勝手にそう思ってしまっているだけなのかもしれない。
だけど、あんな果歩の表情は・・・耐えられない・・・
友哉は悩んでいた。
果歩にとってのヒーローになりたい訳じゃない。
果歩の事が心配・・・ただその一心だった。
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