少し静かになって隣の雰囲気が一気に変わった事が分かった。
「ン……ァ……ン……」
微かに聞こえる女性の吐息。
男女2人が何かを始めた事は確かであったし、何を始めたのかは容易に想像できる。
香苗
「……ゴクッ……」
思わず生唾を飲み込む。
先日と同じように、またも隣の部屋の世界へとのめり込みそうになる香苗。
しかしふとした瞬間、香苗は一瞬我に返った。
……はっ……わ、私……何やってるのよ…またこんな盗み聞きみたいな事……
自分がしている他人の生活を盗み聞くという普段では考えられない異常な行動に、香苗は今再び気付いたのだ。
……ダメ……ダメよ……
香苗は何度も頭を横に振り、心の中で自分にそう言い聞かせると、そっと立ち上がり開けていた窓をゆっくりと閉めた。
窓を閉めたら殆ど声は聞こえなくなったが、よーく耳をすますと微かに聞こえるような気もする。
……もう気にしないって決めたんだから……騒音って程うるさい訳でもないし……気にしなければ聞えないはずよ……
部屋の時計を見ると、もう買い物に出掛ける予定の時間だ。
香苗はお茶を一杯飲み落ち着きを取り戻すと、出掛ける準備を始めるのであった。
香苗
「中嶋さんってやっぱりああいう人だったのね、他の女の人を恭子さんの部屋に連れ込むなんて最低だわ。」
車を運転しながら運転席で香苗はブツブツと独り言を呟いていた。
それにその様子はどこか怒っているようにも見える。
香苗
「それに恭子さんが可哀相だわ……あんな……」
〝でもアイツ金持ってるから捨てれねぇんだよなぁ〟
香苗
「……さいっ低!!最低っ!女の敵よ!あんな男。」
どうやら冷静さを取り戻してからは、中嶋が言っていた言葉を思い出し、それに対して怒りが収まらないらしい。
そして同時に香苗は自分自身にも腹が立っていた。あんな男の事を考えて恥ずかしい事をしてしまった自分に……考えれば考える程腹が立つ。
香苗
「恭子さんに…教えてあげた方がいいのかしら……」
恭子さん、あなたの彼氏…中嶋さん浮気してるわよ、しかも他の女の人を連れ込んでるわよ…
香苗
「……はぁ…でもそんな事簡単には言えないわ、きっと恭子さんその事知ったら深く傷つくもの。」
先日の食事会で恭子が楽しそうに、幸せそうに中嶋と話していたのを思い出すと、心が痛む。
そしてそんな恭子を裏切っている中嶋への嫌悪感がどんどん増してくる。
香苗
「どうしたらいいのかしら……友達としてほっとけないわ。」
香苗はそんな風に頭を半分抱えたように悩みながら買い物をしていた。
せっかくできた大切な友人。恭子が隣に引っ越してきてくれてどんなに嬉しかったことか。
あんなに礼儀正しくて優しい恭子…しかし、そんな恭子の相手が中嶋のような男とは、やはりどうしても納得できない。
……同じ女性として尊敬さえしていた恭子さんがあんな男に騙されてるなんて……
人は誰にでも欠点はある。
一見完璧に見える恭子も、男性を見る目はあまり無かったという事だろうか。
なんにしても、やはりこのまま中嶋がしていた事を友人として見過ごしたくはなかった。
香苗
「今夜、祐二に相談してみようかな……」
買い物を終えた香苗はマンションの地下駐車場に車を止めて、両手に買い物用バッグを抱えながらエレベーターへと向かった。
……そういえば祐二、今日も遅くなるかもしれないって言ってっけ…早く帰ってきてくれるといいなぁ……
なんとなく今日は早く祐二の声が聞きたい気分だった。
それは午前中にあんな事があったからだろうか。
自慰行為の罪悪感を感じてから、香苗の心の中では逆に夫・祐二との愛を確かめたいという気持ちが沸きやすくなっていたのかもしれない。
そんな事を考えながらエレベーターを待っている香苗。
しかしその時だった。
香苗
「………?」
ふと、香苗は背後から人の気配を感じた。
中嶋
「あれぇ?奥さん!ハハッ偶然だなぁ!買い物の帰りですかぁ?」
その声に驚くようにして振り返る香苗。
香苗
「……な、中嶋さん!?」
香苗の表情は明らかに動揺しているようだった。
しかしそれは仕方のない事なのかもしれない。
振り返った香苗の目の前には、あの中嶋がニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべながら立っていたのだから。
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