本当は、いつこういう事が起きてもおかしくはなかった。
真弓が下着を盗まれている事に当たり前のように気付いたのと同じように、毎日部屋を覗かれているのに気付かない人間はそうはいない。
人には気配を感じ取る能力がある。
それに気付かないのであれば相当に鈍感な人間だという事になる。
拓実はその点、少し鈍感なところがあったのかもしれない。
何せ、下着を毎日拝借していても気付かれていないと思っているような人間なのだから。
しかしそんな鈍感な拓実でも、さすがにいつかは気付く。
真弓と拓実が、互いにこっそりと禁断の領域に足を踏み入れていた生活も、ついに終わりの時が来た。
結局あの後も覗き行為を止める事ができていなかった真弓は、その日もいつものように拓実の部屋をこっそりと覗いていた。
そして拓実もまた、いつもと同じように真弓のパンツの匂いを嗅ぎながらオナニーをしていた。
しかし、ふとした瞬間にそれは起きた。
きっと拓実は何の気なしに顔をそちらに向けたのだろう。
レースカーテンの隙間がいつもより少し大きかったのも影響したのかもしれない。
拓実は自身のペニスを扱きながら、窓の方に視線を向けたのだ。
そして誰かに覗かれている事に気付いてしまった。
「……えっ……」
「……あっ……」
2人同時に声が出た。
真弓は固まり、拓実もペニスを握ったまま固まった。
しかも拓実はもう片方の手で真弓のパンツのクロッチ部分を鼻に押し付けたままだ。
数秒間、目が合ったまま固まる2人。
真弓も拓実も、顔が真っ赤だった。
そして真弓の方が先にその気まずさに耐えきれなくなって、その場にしゃがみ込んで隠れた。
――ど、どうしよう……気付かれちゃった……よね?今、絶対目合っちゃったし……――
目が合ったなんてもんじゃない。あの状態で見つめ合ってしまったのだから、もう互いに言い逃れができない。
真弓は混乱した頭を抱えながら小走りで母屋の方へ戻って行った。
「どうしようどうしようどうしよう……」
今度こそ拓実君の前でどういう顔をしたらいいのか分からない。
どうしよう……どうしたらいいの……?
「あーもぉ……私のバカ……あんな風に見てたら絶対いつか気付かれちゃうのは分かってたのに……」
もはや拓実にパンツを盗まれている事なんてどうでもよかった。
とにかく恥ずかしいし、拓実にも恥ずかしい思いをさせてしまったという気まずさだけで頭がいっぱい。
拓実は今どんな気持ちなんだろうと真弓は考える。
あんな所を私に見られて、もうこの家から出たいと思っているかもしれない。
今度ばかりは拓実の前でどんな顔をすればいいのか本当に分からなかった。
しかしそんな事を考えている内にそのまま時間は過ぎ、食事の時間になってしまった。
悩みながらも料理はしっかり作った真弓。
何て声を掛ければ良いか分からないけれど、とにかくいつも通り明るく振る舞おうと真弓は思った。
本当はこっちだって、気まずいし恥ずかしい。
でも食事があるのに呼ばない訳にもいかないから、真弓は勇気を出していつものように拓実を呼んだ。
「拓実くーん、ご飯できたよー。」
すると、少し間を空けてから拓実の
「い、今行きます……」
という弱々しい返事が返って来た。
やっぱりさっきの事を気にしてるんだ。気にしてない訳ないか。
そして拓実が元気ない様子でトボトボと母屋へやって来た。
部屋に入って来た拓実と目が合って、気まずくなる。
「……」
「……」
……何か話さなきゃ……
「あ……た、拓実君、今日はから揚げなんだよぉ、確か拓実君ってから揚げが好物だって言ったよね?沢山揚げたから沢山食べてね。」
「え、あ……はい。」
「男の子ってから揚げ好きだよね~まぁ私も好きなんだけど。から揚げが鶏肉の食べ方で一番美味しいよね、サクッとしてジューシーで。焼いたり煮たりするとどうしてもパサパサになっちゃうし。」
しかしそうやって真弓が一方的に話して明るく振る舞うも、拓実は食事中ずっと暗い顔をしていた。
拓実の反応が悪いから真弓も焦る。
「え……えっとぉ……あ、そうだっ!今日は普通のから揚げだけど、他にも甘酢餡掛けとか油淋鶏とか鶏南蛮とかも私作れるからね。拓実君この中で何か食べたいものある?リクエストあれば今度また作ってあげるよ。」
から揚げの話ばかりする真弓。しかしこの話題だけでこの気まずさを乗りきろうなんて無理があった。こんなネタはすぐに尽きてしまう。
「あ……い、今から揚げ食べてるのに、次のから揚げ料理何が食べたいかなんて考えられないよねぇ、あはは、ごめんね。」
「……」
そして再び食卓が静かになったところで、そこまで笑顔1つ見せなかった拓実が、急に口を開いた。
「……真弓さんあの……すみませんでした!」
「ぇ……」
「あの……さっきの……」
「……う、うん……さっきの事ね……」
拓実が突然頭を下げた事で、真弓もどうしたらいいのか分からず黙ってしまい、重い雰囲気になる。
「……」
「……」
「あ、あのね拓実君……私こそごめん……あんな所から部屋覗いちゃって……」
「……あ、あの、新しいの買ってきます……」
「えっ?あ……ぱ、パンツの事?あはは……いいよぉそんなの。それに拓実君男の子なのに1人で女性用の下着なんて買いにいけないでしょ?あ、でも拓実君が女性用のショップでオドオドしてるの、ちょっと見てみたいかも。あはは。」
真弓はそう冗談っぽく言いながら空元気に笑っているが、拓実は依然として笑わずに、ただただ申し訳なさそうにしていた。
「……」
「……」
「あ、あ……でもさ、仕方ないよ、拓実君も年頃の男の子なんだし、受験の事でストレスも溜まってるだろうし……そういう気分になる事もあるよね、うん。私本当に気にしてないから、うん、大丈夫だよ。」
「……本当に、すみませんでした……」
「も、もぉ拓実君ってば、そんなに謝らなくていいよぉ。そ、それに私も悪いし……もうお互いに忘れよっ!ね?」
真弓の言葉に、ようやく拓実が顔を上げた。
「許して、くれるんですか……?」
「うん、大丈夫。お金を盗っちゃったなら大事件だけど、パンツだもんね。本当に私、気にしてないよ。」
「真弓さん……」
「だから、ほら、から揚げ食べて元気出しなよ、拓実君が落ち込んでると私まで暗い気持ちになっちゃうじゃん。元気出さないとまたこっそり部屋覗きに行っちゃうぞっ。」
「え、それはちょっと……」
ここでやっと拓実が少し笑ってくれた。良かった。
「うふふ、冗談だよ。ほら、冷めちゃうから食べようよっ、ね?」
「はい。」
きっと拓実は真弓に何を言われるかと不安だったのだろう。
でも真弓がこうやって明るく接してくれた事で、拓実は少しホッとしたような顔をしていた。
そして真弓も拓実のその表情を見て安心した。
その後は少し和やかになった雰囲気の中で
「まぁ、一緒に住んでいればこういう事もあるよね」
と互いを納得させるような会話をしつつ、
真弓がまた冗談っぽく
「でもさ、拓実君って意外とエッチだったんだね?」
と聞くと拓実は
「ぇ……はい……すみません」
と、少し照れたように笑って答えていた。
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