中嶋
「今夜も手作り料理ですか?」
中嶋は香苗が手に持っている買い物用のバッグを見ながら言った。
香苗
「ぇ……えぇ……。」
対する中嶋は手にコンビニのビニール袋を持っている。
中嶋
「いいですねぇ、お1人でもやっぱりちゃんと作るんですね。俺なんかこれですよ。」
そう言って中嶋はコンビニの袋の中身を香苗に見えるように広げる。
香苗がそれをそっと覗くように見ると、中にはいくつものカップーラーメンが入っているのが見えた。
香苗
「……晩御飯……これなんですか?」
中嶋
「ハハッ、まぁ俺はいつもこれですから、結構美味しいんですよ。奥さんに1つあげましょうか?」
コンビニの袋からカップラーメンを1つ取り出し、香苗に差し出す中嶋。
香苗
「い、いえ……私は……。」
香苗は少し困ったような表情でやんわりとそれを断った。
中嶋
「ハハッ、冗談ですよ。奥さんみたいな人はこんなの食べませんよね。でもまぁ俺は料理しないし、恭子も料理はあんまり得意ではないんでね。これで済ませてしまう日も多いんですよ。」
香苗
「そうですか……。」
香苗は中嶋の話を聞いて、ふと昔の事を思い出した。
まだ結婚する前、祐二と付き合って間もない大学時代、インスタント食品ばかりを食べていた祐二に栄養のある物を食べさせてあげようと祐二の部屋へ料理を作りによく通っていた事。
スーパーで買い物をしてから祐二が住んでいたアパートに行くのが凄く楽しかった。
確か初めて祐二の部屋に行った時も、料理を食べさせてあげるという理由で行ったのだっけ。
そんな事を思い出している間に、エレベーターが香苗達の部屋の階に到着し、ドアが開いた。
エレベーターから降りれば、部屋はすぐそこである。
中嶋
「じゃあ奥さん、何かあったらいつでも言って下さいね。お隣同士の仲だし、気軽に言って下さいよ。」
香苗
「あ、ありがとうございます。」
そう言って2人は別れ、それぞれの部屋へと入っていった。
香苗
「……はぁ……。」
玄関のドアを閉めた香苗はその場で1つため息を付いた。
前程じゃないにしても、やはり中嶋と2人で話していると変に気疲れしてしまう。
しかし少しの間だったが、中嶋の話を聞いていて、中嶋という人間を自分は少し勘違いしているのかもしれないと香苗は思った。
自分はもしかして中嶋に対して警戒心を持ちすぎているのではないかと。
確かに女性達との関係が特殊である事は間違いなく、その価値観は香苗には全く理解できないものだ。
だけど、それ以外の部分はいたって普通なのかもしれない。
〝何か困った事があったら言ってくださいね〟というような心遣いをされたからなのか、香苗は素直にその事については良心なのだと受け止めていた。
毎日隣の部屋で中嶋と関係を結んでいた女性達は、その雰囲気から中嶋に好意を持っている女性達であったように思える。
決して無理やり中嶋が女性に何かをしているような感じではなかったし、女性は中嶋に何をされても嫌がっている様子はなかった。
中嶋は独特な雰囲気を持っている男性だが、自分が何か警戒しないといけないような相手ではないのかもしれないと香苗は思い始めていた。
香苗
「……。」
強引に女性に対して何かをしてしまうような、そんな人ではないような気がする。
女性に好意を抱かれやすく、そして恋愛感が香苗や祐二とは違う人。ただそれだけの事なのかもしれない。
そもそもあんな盗み聞きのような事を自分がしなければ、中嶋を変に意識するような事もなかったのだ。
恭子は香苗にとって大事な友人であり、中嶋はその恭子の恋人だ。
今度恭子に恋愛観の話など、さりげなく聞いてみれば良いのかもしれない。
人の価値観は人それぞれ。
打ち解けてそういった話もしてみれば、中嶋との関係性も少しは理解できるのかもしれない。
グツグツという鍋の中からする美味しそうな音、そしてスパイシーな香りがキッチンから漂う。
エプロン姿の香苗が、小さな鼻歌交じりで料理をしている。
香苗
「うん、結構いい感じかな。」
香苗が作っているのはカレー。
本当はもっと手の込んだビストロ風のフランス料理を作る予定だったが、急遽変更したのだ。
なぜそんな事をしたのか、その理由は鍋の中のカレーの量を見れば理解できる。
コトコトと美味しそうに煮込まれているカレーは、どう見ても1人分の量ではない。
香苗
「……やっぱりカレーが一番無難よね。」
味見をしながら香苗はそう呟いた。
なんとなくメニューを変更し、なんとなく多く作ってしまったカレー。
なぜこんなにもカレーを作ってしまったのか、自分でもよく分からない。
いや、よく分からなくても良いのかもしれない。
ただただ純粋な良心でカレーを沢山作ったのだと、香苗は自分に言い聞かせる。
香苗
「……。」
しかし作ってしまったものの、香苗はまだ迷っていた。
このカレーを、あの人物の所に持って行くかどうかを。
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